ラーマ9世(プミポン前国王)に信頼され、タイで国王に次ぐ重鎮、軍や政界に大きな影響力を持つ重要人物とされてきたプレム氏。98歳で逝去しました。
 プレム議長は長らく反タクシンとされ、06年タクシン、14年インラック両政権打倒クーデターの黒幕とも言われていました。タイで1980年から88年まで首相を務め、退任後は国王の諮問機関である枢密院のメンバーとなり98年議長に就任。元軍人で国防相を務め、軍や政財界に大きな影響力を持つ重鎮、、、

 長いひとつのタイの時代が間違いなく終わりました

2016年10月の前国王の死去を受けて、ワチラロンコン国王が同年12月に即位するまでの間、国王の公務を代行する暫定摂政にも就いた。首相在任中は外資導入による輸出志向型の工業化を進め、タイの経済発展を推進する一方、議会制民主主義の体裁を整えながら、国王や軍を重視した政治形態は「半分の民主主義」と呼ばれた(日経新聞)。

タイのプレム枢密院議長、98歳で死去 王位継承見届け

 タイ国王の諮問機関である枢密院のプレム議長(元首相、元陸軍司令官)が26日、心臓発作で死去した。98歳だった。同日早朝、バンコク都内の自宅で体調が悪化し、搬送先の病院で死亡が確認された。

 2016年のプミポン前国王の死去に続き、前国王に長く仕えたプレム議長が死去したことで、タイの一時代に幕が下りた。

 プレム議長は4月10日、プラユット首相(元陸軍司令官、65)らタイ軍事政権幹部がプレム邸を訪れ、タイ正月(ソンクラン、水かけ祭り)の祝賀のあいさつを行った際に、鼻に酸素吸入器をつけながらも立って出迎え、プラユット首相から祝賀のあいさつを受けた。

 今月4日には、前国王の長男であるワチラロンコン国王の戴冠式に出席し、王位継承がつづがなく行われたことを見届けた。

 プレム議長は1920年、南部ソンクラー生まれ。1978―1980年に陸軍司令官、1980―1988年に首相を務めた。プミポン前国王の信頼があつく、1988年の首相退任時に枢密顧問官に任命されるとともに、「ラタブルット(国家功労者)」の称号を受けた。1998年から枢密院議長を務めた。

 政財官界や特に軍に極めて強い影響力を持ち、年末年始やタイ正月、自身の誕生日前後には例年、現役の軍、警察の最高幹部がプレム邸を祝賀に訪れた。これは、軍、警察がプレム議長を通じてプミポン前国王に忠誠を示す慣行とみられていた。

 1980年代のプレム政権は非議員のプレム首相が特権階級や軍の威光を背景に長期政権を率いた変則的な政治体制で、「半分の民主主義」と呼ばれた。現在のプラユット軍政が2017年に施行した現行憲法は、非議員の首相を認め、議会上院を期間限定で任命制に戻すなど、「半分の民主主義」体制の復活を目論んだという見方がある。

 プレム議長はタクシン元首相と対立関係にあると報じられ、タクシン派の一部は、プレム議長と枢密院がタクシン政権を追放した2006年の軍事クーデターとタクシン派インラク政権を倒した2014年の軍事クーデターの黒幕だと非難した。タクシン元首相はプレム議長を「スーパーパワー」と呼んだとされる。
《newsclip》