クーデター発生から2週間あまり。バンコクではクーデター抗議の人々の間で、中指、人さし指、薬指の3本の指を掲げるジェスチャー広がっている…
米映画「ハンガー・ゲーム」(2012-13)で独裁国家に対する反逆の象徴として使われたジェスチャーを真似てSNSで広がりをみせているというが(この他、本を読むというスタイルもあるそうだ/映画「1984」から)ちょっと微妙な感じが。

週末を中心に散発的にバンコクでは小規模なデモのニュース(6/8日曜日午後3時から午後6時過ぎまで地下鉄チャトゥチャック公園駅閉鎖)。
大きな衝突は今のタイの現状では逆効果になるとも思われ、
微笑みこそないものの、穏便にコトが進むことを望みます…



タイ・バンコク各地でクーデターに抗議する「無言のデモ」」 News i - TBSの動画ニュースサイト

クーデターで軍が全権を掌握したタイで8日、6300人の治安部隊が厳戒態勢を敷くなか、クーデターに抗議する小規模なデモ隊がバンコク各地に出現し、軍政への「無言のデモ」を展開しました。

 軍政当局は8日、バンコクの5か所でクーデターに反対するデモが行われるとの情報から、兵士や警察官ら6300人を各地に配置しました。

 しかしデモ隊は、フェイスブックなどのソーシャルメディアを活用し、兵士や警察官らが配置されていない場所に次々と姿を現して、無言のまま3本指を掲げる抗議行動を展開しました。3本指を掲げるパフォーマンスは、アメリカ映画の主人公が、独裁国家に抵抗を示す際のジェスチャーで、タイではクーデター以降、「無言の抵抗を表すシンボル」として広がっています。

 プラユット陸軍司令官は6日のテレビ演説で反軍政の抗議デモに対し、過激な行動は慎むよう要望したうえで、「3本指を立てるのは個人の勝手だが、やりたいなら家でするように」と強い不快感を示しています。(6/8 20:57)

歪んだ微笑の国と化すタイ(2014年6月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 タイのクーデターは国の評判を著しく損ねた。気の短い陸軍司令官が「国民に幸福を取り戻し、対立を解消する」軍事政権の望みについて屈託なく語る。学者を含む何百人もの人が尋問のために一斉検挙される。

 兵士がごく少人数の抗議者の集会を襲撃する。市民は本を読んだり(『1984年』)、3本指を掲げたりする(『ハンガー・ゲーム』)ことで逮捕される危険に直面する。すべてが恐ろしいほど時代がかっている。タイは歪んだ微笑の国になってしまった。

 だが、これは多くのバンコク市民、少なくとも大雑把に「エリート」と呼ばれる層とその支持者の目に映る姿ではない。彼らにしてみると、クーデターは、自主亡命しているタクシン・チナワット元首相の仲間たちが彼ら自身の不埒な目的のために民主主義を乗っ取った衆愚政治の時代を終わらせてくれた。

「クーデターが衆愚政治の時代を終わらせた」

 中には、軍事独裁政権の下で生きるのを必ずしも好まない人もいるかもしれない。しかし、多くの人は軍事独裁を必要悪、つまり、腐敗と勝者総取りの多数決主義が取り除かれた、機能し得る形の民主主義への序章と見なしている。

 タイでまだ大胆に本音を語る数少ない人物の1人でコラムニストのソンクラーン・グラチャンネターラ氏は、こうした見方を厳しく批判する。「人々は民主的な独裁政権に対して非難の声を上げていた」。多数決原理の乱用と見られるものに関する不安の広がりに言及して、同氏はこう話す。だが、本物の兵士の手による本物の独裁政権について同じくらい心配している人はほとんどいないようだと言う。

 だが、タイのエリート――大雑把に軍部と官僚と君主制主義者として定義されている、不完全だとしても便利な言葉――の多くがなぜタイ式の民主主義をそれほど不快に思っているのかは、考えてみる価値がある。

 すべては大物実業家から政治家に転身したタクシン氏が2001年に首相になった時に始まった。当初はエリート層の一部から支持されていたが、急速に支持を失った。タクシン氏は、自分自身や取り巻きの会社においしい話を振りまき、腐敗していると広く思われていた。

 タクシン政権は人権侵害で非難された。恐らく最悪だったのは、多くの人が、タクシン氏の権力掌握と利益供与を国王に対する冒涜と見なしたことだろう。

タクシン氏を嫌っていた人たちにとっては、とてつもなく大きな問題があった。彼は止めることができなかったのだ。

 タクシン氏は、かつて社会から取り残されていたタイ北部の巨大な票田に、自分が彼らの利益を代弁しているということを納得させた。タクシン氏を失脚させるには、2006年のクーデターが必要だった。

 クーデターはタクシン氏を追い出したが、タクシン主義は追い出せなかった。軍事政権が退いた後、タクシン氏の協力者たちがすぐさま政権の座に返り咲いた。2011年には、タクシン氏の妹、インラック・チナワット氏――まずいことにタクシン氏は彼女を自分の「クローン」と呼んだ――が首相に選ばれた。

 プラユット・チャンオチャ陸軍司令官は、2006年の「過ち」を繰り返さないだろう。同氏の目から見れば、前回、軍は権力を早く委譲し過ぎた。軍は親タクシン派の政権誕生を阻止できなかった憲法にも手をつけなった。バンコクの多くの人にとって、民主主義は期待外れの代物であり、腐敗や、ある評論家が「ポピュリズムの病」と呼ぶものと同一視されるようになった。

<タクシン批判の是非>

 すべての批判が的外れなわけではない。タクシン氏が直接あるいは傀儡を通じて運営した政権については、嫌悪すべきものがたくさんある。他の多くの未熟な民主主義と同様、法律は権力の乱用や縁故資本主義の導入を防ぐには執行力が弱すぎる。

 だが、こうした批判の多くは誤りだ。タクシン氏の政権が、かつての悪名高い一部の軍事政権指導者など、他の多くの政権より腐敗しているかどうかは疑問だ。タイの民主主義が近隣諸国のそれより程度が悪いとは必ずしも言えない。インドやインドネシア、フィリピンは、とにかく辛抱強く投票を続けている。

 タイの政治にはチェック・アンド・バランスが欠けているという考え方も正しくない。それと同じくらい簡単に、タイにはチェック・アンド・バランスが多すぎると主張することもできる。ここ数年で、3人もの首相が裁判所によって失職させられた。強力なチェックなどというものがあるとすれば、これがそうだろう。

 民主主義への嫌悪は、農民が分別を持って投票するとは信用できないという家父長主義的な考え方によるところが大きい。農民は、誰でもいいから自分たちに最大の賄賂を贈ると約束した人物に投票していると思われているのだ。実際、タクシン氏は施しに対する権利を与えることで人気を得た。

 タクシン氏が誠実だったかどうか、あるいは冷ややかな多数派工作をしていただけかどうかは、この際、ほとんど関係がない。タクシン氏の政策は、旧来の制度が自分たちにとって民主的な意味を持たなかった有権者の琴線に触れた。タイの有権者の多くは今、民主主義の果実を味わった。エリートたちにとっては、それがまさに問題なのだ。

 軍幹部たちは「仲裁センター」の活用を通じた調和を思い描いている。『1984年』が微妙な本とされるのも無理はない。

 軍部は選挙「改革」の実施も提案している。人々は、それが部分任命制の下院や中選挙区を意味する可能性があると推測している。ほぼ間違いなく、その狙いは民主主義を強化することではなく、薄めることだ。

 このような戦術は、しばらくはうまくいくかもしれない。だが、長期的には、タクシン主義によって解き放たれた社会的勢力は、そう簡単には罠に掛からないだろう。民主主義は完璧ではない。明らかに悪用されることもある

 だが結局、民主主義は、少数派に対する一定の保護を伴うものの、多数決原理を意味している。多数決原理は長続きするあらゆる政治的解決の基礎でなければならない。それは軍部の脚本からは生まれそうにないものだ。
By David Pilling