5/22(木)
17時 プラユット陸軍司令官がクーデターを宣言、憲法を停止。
タイ全土に午後10時から翌朝午前5時までの夜間外出禁止令を発令。
5/23(金)
昼、インラック前首相、バンコクの陸軍施設に出頭する。
国家平和秩序維持評議会はインラック氏のほかタクシン氏の一族やタクシン派指導者を多数含む計155人に出頭を命じ、許可のない海外渡航を禁止する(インラック氏の義兄のソムチャイ元首相も拘束)。
プラユット陸軍司令官は政府高官らを集めた会議で「(クーデターは)誰からの指示も受けていない」と述べ、王室は関わっていないと説明。
過去のクーデターで軍は、直後に国王の「承認」を求めており、今回は極めて異例。
同評議会は衛星テレビ局の遮断などメディア規制を強め、市民を扇動する内容を流したソーシャルメディアの運営者を訴追するとも警告。
夕方、プラユット陸軍司令官は「暫定首相を当面置かずに自ら国政運営を進める」と明言。「総選挙は国家が正常化し(対立勢力の)和解ができれば実施する」
5/24(土)
クーデター直後から軍の統制下になったテレビの地上波チャンネルは静止画のままであったが午後「国家平和秩序維持評議会の検閲ロゴ」が右上に表示され、通常放送に戻る。
プラユット陸軍司令官は上院を停止し、立法府まで完全掌握。下院は去年12月に解散していることから軍政が長期化する懸念も高まる。
バンコクではクーデター反対のデモも起きる。
5/25(日)
クーデター反対の抗議集会は徐々に参加人数が増え、25日にはバンコクの中心部に千人近くが集まる。デモ隊の一部は軍や警察と揉みあいになり、騒然とした雰囲気となるもけが人などはなかった。
夜にはインラック前首相が軍施設での拘束を解かれバンコクの自宅に戻るも実質軟禁状態。
5/26(月)
休校していた学校は再開。
プラユット陸軍司令官はプミポン国王から国家運営の権限を持つ国家平和秩序評議会の議長として正式な承認を受ける。
予定されていた暫定憲法の発表を見送り「今後最も重要なのは立法と改革を進める組織を設けること」としたが、具体的な今後の行程、選挙の時期などについては明らかにしなかった。
この日の夜の時点で軍事政権(国家平和秩序評議会)から約260人の要人が出頭命令を受けており、このうち100人が拘束されている模様。
17時 プラユット陸軍司令官がクーデターを宣言、憲法を停止。
タイ全土に午後10時から翌朝午前5時までの夜間外出禁止令を発令。
5/23(金)
昼、インラック前首相、バンコクの陸軍施設に出頭する。
国家平和秩序維持評議会はインラック氏のほかタクシン氏の一族やタクシン派指導者を多数含む計155人に出頭を命じ、許可のない海外渡航を禁止する(インラック氏の義兄のソムチャイ元首相も拘束)。
プラユット陸軍司令官は政府高官らを集めた会議で「(クーデターは)誰からの指示も受けていない」と述べ、王室は関わっていないと説明。
過去のクーデターで軍は、直後に国王の「承認」を求めており、今回は極めて異例。
同評議会は衛星テレビ局の遮断などメディア規制を強め、市民を扇動する内容を流したソーシャルメディアの運営者を訴追するとも警告。
夕方、プラユット陸軍司令官は「暫定首相を当面置かずに自ら国政運営を進める」と明言。「総選挙は国家が正常化し(対立勢力の)和解ができれば実施する」
5/24(土)
クーデター直後から軍の統制下になったテレビの地上波チャンネルは静止画のままであったが午後「国家平和秩序維持評議会の検閲ロゴ」が右上に表示され、通常放送に戻る。
プラユット陸軍司令官は上院を停止し、立法府まで完全掌握。下院は去年12月に解散していることから軍政が長期化する懸念も高まる。
バンコクではクーデター反対のデモも起きる。
5/25(日)
クーデター反対の抗議集会は徐々に参加人数が増え、25日にはバンコクの中心部に千人近くが集まる。デモ隊の一部は軍や警察と揉みあいになり、騒然とした雰囲気となるもけが人などはなかった。
夜にはインラック前首相が軍施設での拘束を解かれバンコクの自宅に戻るも実質軟禁状態。
5/26(月)
休校していた学校は再開。
プラユット陸軍司令官はプミポン国王から国家運営の権限を持つ国家平和秩序評議会の議長として正式な承認を受ける。
予定されていた暫定憲法の発表を見送り「今後最も重要なのは立法と改革を進める組織を設けること」としたが、具体的な今後の行程、選挙の時期などについては明らかにしなかった。
この日の夜の時点で軍事政権(国家平和秩序評議会)から約260人の要人が出頭命令を受けており、このうち100人が拘束されている模様。