三たび英語学習ネタ。
タイで英語を話していると、ふと「何でこう言える?」とか、「この表現正しかった?」と思う瞬間がありました。それでも話し続けて、いま何となく壁に当たってる気が。
その理由は、文法をしっかり理解してないから、そう思うようになりました。

たとえばボクはMayではなくてCan you ...?の表現はよく使うのですが、このcanには「能力・可能」の意味だけではなく「許可」そして「可能性」などの意味もある、…文法的にもしっかり規定されたことなんですよね。こういう裏付けを知ることで、英語の成り立ちが見えて来て、手応えを感じられるのです。今少し。

もう一度はじめる英文法

どうしても「勉強はしたくない」という意識からこの手の文法書を避けて来た所ありましたが、これは大きな分岐点になるかもしれません。いままで何となく使ってた言葉、用法にも文法的裏付けが見えるとその言葉がより強いものになる、土台があるというのは心強い。

いま読み物感覚で「英文法」眺めてるんですけど不定詞とか現在完了進行とか仮定法過去完了なんて聞くだけでムズムズ。だから、そういう抽象的な文法用語をさておき、毎日、目を通してます。そうすると記憶あるイディオムが出て来ますよね、ボクも勉強してた、と気づく。
しかし!高校時代の英語ってまさにこの「抽象的な文法用語を丸覚えして、その場を乗り切るだけの勉強」でしたねえ。本当に悲しい青春時代だ。あれだけ勉強したのに何だ今のこの様は。
義務教育同然に、日本人の殆どがあれだけの英語勉強、それも文法中心にたっぷり。あんなに文法を覚えれば、相当正確な英語話せますよ。ボクのいまの壊れた英語なんか小学生レベルでしょう。なのに日本では高校出ただけでは英語が話せない。英会話学校にお世話にならなきゃいけない。まったく馬鹿げた話。教育者の人は考えて下さい、根本的な日本の英語教育を。知らないうちにあの努力が無駄に……

脱線してしまいましたが、その教育の犠牲者で終わるかどうかはそれぞれの問題で、やっぱり自分は犠牲者のまま終わりたくないです。

MacをメインにしてからiTunes,iPodは絶好調。しばらくは文法を読みながらポッドキャストでネイティブの音声を聞く、このスタイルで行きます。

I had been a slow learner. As you know, a life is very short so that I have to awake up.